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どこでも住めるとしたら?



noteのハッシュタグ企画に参加してみました。

お題は「どこでも住めるとしたら」

あなたは次はどこに住みたいですか?


私は昔、フランスに半年住んだことがあります。 その間にヨーロッパ色々な場所に一人旅をしていつもしていたのは空を見上げること。

環境音を聞いて、漂う香りを嗅いで、肌で空気を感じる。 地面に座って見上げた先には空がある。 それは地球上どこも同じなんだという強い実感がありました。 田舎のばあちゃんの犬の散歩も、ニューヨークのタイムズスクエアも、パリのシャンゼリゼ大通りも、ロンドンブリッジの下も、ハワイのダイヤモンドヘッドの頂上も行きました。 目を閉じて呼吸をすれば、この足が感じる地面が私のいる場所。 どこで誰と住むかが重要で、そこに家を建てて人生が根付くだけ。

本題 「もしどこでも住めるとしたら」 私は「誰と住むか」かな。

家族が暮らしやすさを考えたら 結局、そこそこの都会そこそこの田舎で そこそこの家にわいわい暮らすのが良いな、そう思っています。 (長文を書いておいてその結論www)


どこでも家族がバラバラだと不幸な家になる。 狭かろうが古かろうが住む人が結束して明るければ幸せな家になる。

不満が出るのは結局は対人。

ちなみに補足、これは物を売ったり買ったりするのも同じこと。

私がテレビショッピングの中で出したりするのは「孫と元気に遊ぶための健康」や「年下に驚かれるような美肌」というように誰にどう関わる理想を叶えるか。 いくら豪華なブランド品でも古着でも、その人が誰とどんな生活の中で使う物か?を具体的に描けるかどうかによって、欲しいかどうかが決まるのではないかと思います。


結論。 人は、人ありき。

対人関係でもお仕事でも、少し意識すると良さそうです。


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